189-参-我が国及び国際社会の平和安全…特別委員会-6号-2015年08月03日-初版
○田中茂君
日本を元気にする会・無所属会、無所属の田中茂です。
平和安全法制を審議するに当たり、その核心部分は、日本を取り巻く国際情勢が年々厳しさを増している中で、我が国の安全保障をいかに遂行していくのか、そのために集団的自衛権の行使容認がなぜ必要なのか、この点であると私は思っております。
その本質的な問題とは別に、衆議院では、安保法制をめぐる議論では集団的自衛権の行使が違憲かどうかという憲法論議に集中し過ぎた感があったと思っております。
衆議院での安保法制特別委員会で七月十三日に招致された憲法学者が、集団的自衛権のみならず自衛隊をも違憲であるとの見解を示しました。
集団的自衛権も憲法問題に固執していくと、多くの国民から受け入れられ、有事や災害時に危険を顧みず救援に駆け付けてくれる自衛隊を違憲であるとするような次元と同一の議論になってしまい、現実世界との論理矛盾が生じるわけであります。
この点から言えば、今から二十年前なんですが、村山内閣が誕生したときに、当時の社会党は、国際情勢の変化により現在程度の規模の自衛隊は合憲であると、それまでは長年違憲であるとしてきた自衛隊について、いとも簡単に合憲であるとその立場を変更した過去があります。
すなわち、国際情勢の変化によって違憲になったり合憲になったりするのは、自衛隊の存在が本質的に憲法問題ではなく、日本にとってどの程度の軍事力が必要なのかという政策判断の問題であったことを当時の社会党及び社会党出身の総理大臣が身をもって証明したわけであります。
これは必要最小限もそうなんですが、相手国の攻撃の度合いやそのときの国際情勢、軍事科学技術の進展の度合いによって自衛に必要な武力行使の程度は大きく変動するので、今回政府が個別的のみならず集団的自衛権もこの範疇に入るとしたのも私は当然であると思っております。
これも政策判断であります。
したがって、安全保障、防衛とは、単なる憲法問題ではなく、その時々の政府が主導し、責任を持って決定すべき政策問題であるということがその本質ではないかと考えております。
そこで、質問なんですが、国家の独立と国民の生命、財産を守るという点で、自衛隊の活動や集団的自衛権行使に関する問題は失敗が許されず、現実的、高度な実効性を持たなければならないはずであります。
だからこそ、自衛隊や集団的自衛権行使に関わる問題は、単なる憲法問題ではなく、第一義的には政策判断によって解決される重要問題であると考えますが、この点についてのお考えをお聞かせください。
○国務大臣(中谷元君)
自衛隊は創設六十年になるわけでございますが、様々な活動を通じて国民の皆様方にも評価と御理解をいただいておりますし、PKOも二十年以上国際的な現場で活動をいたしておりまして、各国との国際協力、これを実践をしているわけでございます。
今回の法整備につきましては、従来の政府見解の基本的な論理、これを維持をいたしておりまして、最高裁判決、これの考え方の範囲内のものであると考えております。
憲法に適合した法整備を行うということにつきましては、昨年七月一日、閣議決定以来、十分に説明をいたしております。
その上で、今回の法整備に際しまして、近年、安全保障上の課題や不安定要因が複雑かつ多様で広範になりまして、我が国をめぐる安全保障環境はますます厳しさを増していることが前提となっていることから、御指摘のように、憲法の問題のみならず安全保障政策について議論をするとともに、適切に政策判断を行っていくということは極めて重要なことだと考えておりまして、政府といたしまして、我が国の平和と安全を守るために、まず何よりも我が国自身の努力、そして日米同盟の強化、これを通じて抑止力を向上させていくこと、その上でアジア太平洋地域の平和と安定を確保して、さらには国際社会の平和と安定を確保するための努力を行わなければならないと考えておりまして、今回、法整備を国会において議論をしていただいて、これの整備が必要だという認識に立っているわけでございます。
○田中茂君
過去、防衛政策に関わる政策判断はかなりありまして、四十以上あるんではないでしょうか。
まず、政策判断が行われ、それを憲法に基づいて法案を作成していくわけであります。
フランスの哲学者ルソーが、社会契約論の中で、法の持つ硬直性は国家を滅ぼしかねないと言いましたが、憲法改正は、ドイツは六十回、米国は十八回、フランスは二十四回等々、各国は法の持つ硬直がないようにしてきましたが、日本は憲法改正がなかなか困難で時間が掛かると。
だからこそ、ある意味では先人の知恵として、法の安定性を保ち、法の持つ硬直性をなくすために、私自身は、憲法解釈の変更が日本では行われてきたのではと、そう思っております。
中曽根元総理が総理時代に集団的自衛権を否定していると、その話が何度か出ております。
先ほども話しましたが、この問題は政策判断の問題であります。
村山首相が国際情勢の変化により現在程度の規模の自衛隊は合憲であるとその立場を変更したように、中曽根元総理は、多くの著書で、集団的自衛権行使は合憲である、それは国際情勢の変化、国情の推移によって解釈が変化する政策論である、したがって、個別的自衛権はあるが集団的自衛権は行使できないというのも政策論であるということです。
自衛権というのは、個別的自衛権も集団的自衛権も同根一体のもの、つまり、憲法以前に主権国家に存在する自衛権は、よほどの正当な理由がない限り、その行使が個別にあって集団にないことはあり得ないと。
日本の防衛のために、個別的自衛権を完全ならしめるために米軍と協力し、原則として米軍を日本の防衛のために働いていただく、集団的自衛権の行使も認められてしかるべきであ
ると。
実際に、集団的自衛権とは米国との同盟関係であり、単なる軍事同盟ではなく、日本のみならず、アジア全体の平和と繁栄に寄与する政治的安定を図るものでもあると。現在の政府解釈よりは、より進化した集団的自衛権合憲論を述べているほどであります。
ところで、最初に憲法論議は避けたいと私言いましたが、今回の安保法制の基本が集団的自衛権の行使容認であるがゆえに、中曽根元総理の集団的自衛権行使の定義を踏まえて、政府の集団的自衛権に関する憲法解釈について一点のみお尋ねします。
私自身も、集団的自衛権は合憲であるとの考えであります。
国連憲章第五十一条の条文、これが集団的自衛権の根拠になっていることも皆さん御承知のとおりであります。
ただ、集団的自衛権について具体的な定義はしておりません。
そのために、これまで様々な解釈が行われた、論争の的になってきたわけであります。
政府見解による集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止する権利とされています。
これは自衛ではなく、単なる援軍にしか解釈はできません。
この政府解釈は、いわゆる国際法学界におけるドイツ法の他衛権とも全く定義が異なっております。
かつて東大教授を務めた故佐藤誠三郎氏が二十年ほど前に発表した集団的自衛権合憲論の論文では、集団的自衛権とは、ある国への武力攻撃がその国と自国との密接な関係により自国への攻撃とみなすことができる場合に、攻撃を加えた国に対して共同して反撃することであると。
米英法的な解釈であります。
私は、当然この見解に同意するものであります。
また、五十年以上も前になりますが、国際法学者の東京大学名誉教授の高野雄一氏が、集団的自衛権は、必ずしも国際連合における創作ではなく、今日の国際社会における自衛権の発展した形態であると指摘されたように、そもそも集団的自衛権とは、軍事技術の発達と国際相互依存の深まりに伴って自衛権が進化した形態なのであると。
つまり、集団的自衛とは、ある国への武力攻撃がその国と自国との密接な関係により自国への攻撃とみなすことができる場合に、攻撃を加えた国に対して共同して反撃する。
だからこそ、集団的自衛権は自衛権の発達した形態なわけであります。
ですが、これまでの見解では、このある国に対する攻撃を自国に対する攻撃とみなし得る場合という条件がなく、その代わりに、自国が直接攻撃されていないにもかかわらずという一項が加えられることによって、集団的自衛とは自国の安全に直接関係ないものであり、それゆえ個別的自衛とは質的に異なるものという解釈へと集団的自衛権の定義が変更されており、国際的な集団的自衛権の見解とは懸け離れているわけであります。
しかも、国連憲章第五十一条では、英語では、「individual or collective self-defence」となっております。
この「or」は、又はです。
この条文を見る限り、自衛の権利は個別的と集団的が別個に存在するとは解釈されず、両者は区別されておりません。
私も、そもそもこの時点から定義からくる混乱が始まったのではないかと考えております。
そこで質問なんですが、集団的自衛権の現在の解釈が行われた一九七二年の十七年後に冷戦は終結し、更に四半世紀が過ぎた今、世界情勢は大きく変化し、政府が新たに三要件を定めて集団的自衛権が行使できるようにしたことは、私自身評価をしております。
ただし、従来の集団的自衛権の解釈を変更しないと、いつまでたってもその行使について、先ほど来いろんな質問が出ておりますが、行使についての誤解や解釈の不明確が生じるのではないかと考えております。
確かに、今まで政府が積み重ねてきた論理を覆すのは容易ではないかもしれません。
当時の状況を考えると、政治的便宜主義として、個別的自衛権と集団的自衛権を分離した方が都合がよかったのも理解します。
しかし、集団的自衛権の行使は政策問題でもありますから、歴代内閣の見解を踏襲する必要はなく、今回の新三要件の一つである、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があることという要件は、先ほど私が申し上げたような、密接な関係にある国に対する攻撃を自国に対する攻撃とみなし得る場合と近いものであるので、従来の解釈を変更し、個別的自衛権と集団的自衛権は一体同質とした上で、国家安全保障基本法に集約した形での集団的自衛権の限定行使とした方が私はすっきりしたのではないかと、そう思っております。
これについての御意見をお聞かせください。
○国務大臣(岸田文雄君)
まず、我が国の憲法は、国民の命を、暮らしを守るために必要最小限の自衛の措置を認めるものであると考え、そして、その中にあっても、我が国が武力の行使を行えるのはこの新三要件に該当した場合に限られる、こういった説明をさせていただいております。
そして、我が国が憲法との関係において認められる武力の行使の中に、一部国際法上はこの限定された集団的自衛権と説明される部分があるという説明をさせていただいております。
そして、その中に限定された集団的自衛権が含まれるというのであるならば、国際法上の集団的自衛権の考え方としっかり整合性を保たなければなりません。
そして、委員の御指摘の中に、この集団的自衛権、個別的自衛権に対する考え方、これは国際法の学説としては様々な学説があり、議論が行われています。
しかし、今、国際社会において、国際司法裁判所の判決等において確認されている限り、この集団的自衛権と個別的自衛権、これは自国に対する武力攻撃に対処するものであるかどうか、これによって明確に区別されていると理解されていますし、我が国もそのように考えております。
こうした国際的な考え方に沿って我が国がもし限定的な集団的自衛権を行使するとした場合も、しっかりと説明できるものにしなければなりません。
なぜならば、我が国がこの限定的な集団的自衛権を行使したならば、これは国連の安保理にこれをしっかりと報告をしなければいけません。
国際社会に説明できるものでなければなりません。
ですから、我が国の集団的自衛権に対する考え方、国際司法裁判所等の判決に基づいた、国際社会において理解されるものであるべきだということでこの議論においても説明をさせていただいているところであります。
○田中茂
個別的自衛権と集団的自衛権というのは私は同根一体のものであると、そのようにした方がいずれ禍根を残すことはないと、私はそう思っております。
これは一言言っておきますので、私自身のこれは考えとして捉えておいていただきたいと思います。
あと、冷戦以後、国際情勢も変化し、自衛権の形も進化しております。
そこで……(発言する者あり)そこで、これだけちょっと言わせておいていただきたいのは、今回の法案は周辺国への抑止力となるのは当然であります。
しかし、それのみならず、今、アジアでは、アメリカと五か国の軍事同盟や……
○委員長(鴻池祥肇君)
田中君に申し上げます。
次の機会に譲ってください、御意見は。
○田中茂君
分かりました。じゃ、次に譲らせていただきます。
ありがとうございました。