元参議院議員 田中しげる

しげるレポート | 田中しげるの活動報告ブログ

[会議録]田中茂 法務委員会(参議院) 2015年8月6日
会議録 2015/08/06

189-参-法務委員会-19号-2015年08月06日-初版

田中茂君

日本を元気にする会・無所属会、無所属の田中茂です。

今回、人種差別撤廃施策推進法案作成に当たり、小川先生、前川先生、また関与された議員の皆さん、大変御尽力いただき、心から感謝申し上げます。

今回、この法案を提出されてかなり社会的反響を呼んでおりますが、先ほど猪口先生おっしゃったように、啓発活動、非常に大事だとは思っております。

ある意味じゃ、これも啓発活動の一環になったのではないかと、私はそう評価はしております。

そこで、まず第一の質問でありますが、今回の法案は平成二十四年に閣議決定された人権委員会設置法案及び人権救済機関設置法案に続くものであるのではと、そう拝察しますが、それとの関連も踏まえ、今回の法案提出に関する背景と意図について改めて説明をお伺いしたいと思います。

委員以外の議員(前川清成君)

田中委員からは大変親切なお言葉を賜りまして、本当にありがとうございました。

中曽根元総理の秘書として長らくの政治経験をお積みになって、是非、引き続き御指導賜りますようお願い申し上げたいと思います。

今委員からお話がございましたように、お隣の小川委員は民主党政権で法務大臣をお務めになられました。

その民主党政権で人権委員会設置法というのを閣議決定させていただきました。

結局、衆議院の解散によって廃案となってしまいましたけれども、この人権委員会設置法と今回の法案と、広い意味では、差別があってはならない、その差別の元種を世の中からなくしていかなければならない、広い、底辺の意味においては共通しているかと思います。

ただ、人権委員会設置法は、人権委員会というのを設けまして、個別具体的な人権侵害事案も射程に置きまして、その個別具体的な事件について調査をしたり、調査に基づいて告発をしたり、あるいは説示をしたり、様々な具体的な活動を伴ったものでございます。

しかし、今回の法案は個別の事案に対する具体的な救済というのは射程に入れておりません。

法文の中にもありますけれども、基本原則を定めるということにとどまっておりまして、先ほどからお話がありますように、基本法でありあるいは理念法でございます。

その意味において、人権委員会設置法と今回の法案、これは背景も内容も大きく異なるのではないか、こんなふうに考えております。

田中茂君

ありがとうございます。

背景としてはよく理解するものであります。

次の質問なんですが、先ほど来、私も最後の方になりましたのでかなり重なっておりますので、私の質問としては、このヘイトスピーチの定義、その辺をまずはお聞きして、ただ、私自身は、このヘイトスピーチの定義というのはなかなか難しいのではないかと。

先ほど来、皆さんおっしゃっていましたが、どこからがヘイトスピーチなのか、その価値判断は人によって様々でもあるわけです。

その境界線を明確にして法規制をすることは極めて難しい、私はそう思ってはおります。

ただ、先ほども仁比先生、ちょっと触れられたんですが、著しく不安若しくは迷惑を覚えさせる目的、この辺も具体的にはどのような状況を想定しているのか、その辺の線引き誰がするのか、不明確でもあるわけです。

そういうことを考えるとなかなか難しいのではということで質問をしようと思ったんですが、先ほど先生がその苦労話をしていただきましたので、この辺の質問は割愛させていただきたいと思います。

そこで、次の質問として、諸外国において、ヘイトスピーチを禁止するようなものは人種差別禁止法に当たるのかもしれませんが、それに関連して、現在世界の各国ではどのような規制が行われているのか。

例えば、欧州、北米を含むOECD各国の法規制については、大まかで結構ですので、現況を教えていただけませんでしょうか。

政府参考人(下川眞樹太君)

お答え申し上げます。

OECD加盟各国のそれぞれの法体制につきましては、固有の歴史的な体験を背景にいたしましてそれぞれの法制度、法体系を有しておりますので、必ずしもその制度の詳細につき全て把握できているわけではございません。

その前提で申し上げますれば、外務省において調査を行った範囲では、OECD全加盟国三十四か国のうち大多数の加盟国においては、人種等を理由に誹謗中傷する言動又は人種等を理由とする差別を扇動、助長する言動を規制する何らかの法令があり、うち三十か国において何らかの罰則を設けているものと承知しております。

他方、韓国及び少なくとも連邦法レベルの米国におきましては、人種等を理由に誹謗中傷する言動又は人種等を理由とする差別を扇動、助長する言動を規制する法令は存在していないというふうに承知しております。

田中茂君

ありがとうございます。

次に質問させていただきますが、第三条一項二号に、特定の者について、その者の人種等を理由とする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動とありますが、この侮辱や嫌がらせについて、過去、ヘイトスピーチに関連して侮辱罪や名誉毀損罪などを含む刑事事件があったかどうか、あればそれは何であったかをお聞かせいただけませんでしょうか。

政府参考人(林眞琴君)

御指摘のような事案といたしましては、被告人四名が共謀の上、平成二十一年十二月、京都市の京都朝鮮第一初級学校付近及びその近くの公園におきまして、同校校長らに向かって怒声を張り上げ、拡声機を用いるなどして、北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本からたたき出せ、そもそもこの学校の土地も不法占拠なんですよ、ろくでなしの朝鮮学校を日本からたたき出せなどと怒号して、同公園内に置かれていた物品を倒すなどして喧騒を生じさせたことにつきまして、威力業務妨害罪、侮辱罪等によりいずれも有罪判決を受けた、こういった事案があるものと承知しております。

田中茂君

それ以前には、こういう刑事事件に絡む、ヘイトスピーチを含めての、関連しての刑事事件というものはなかったんでしょうか。

政府参考人(林眞琴君)

これは一つの事例として挙げさせていただきましたが、それ以前について網羅的にこういったものがなかったかどうかについては把握をしておりません。

田中茂君

次の質問に移らさせていただきます。

先ほどの割愛した質問に関連しますが、不当な差別的言動という表現の中の不当、先ほど矢倉先生、同じような質問をされましたが、私は若干角度を変えて質問をさせていただきます。

その不当という言葉ですが、誰がそれをどういう形で判断するかについては、先ほどおっしゃっていたようになかなか難しいとは思います。

不当に関する定義もありません。

どこからどこまでが不当でどこから先が不当ではないのか、その受け止め方にも個人差があると思います。

また時代性もあるかもしれません。非常に主観的な要素が含まれると思うわけで、そういった内容に対して、法律によって主観的判断に対して線引きをすることには限界があるのではと、私はそう思っておりますが、誰がどのような形で不当であるという判断をするのか。

また、主観的あるいはバイアスが掛かった価値判断が取り込まれた場合に、本法案の第二章、基本的施策の第十三条の人権教育の充実等の教育活動において洗脳的な刷り込みが行われるのではないかという危惧もありますが、それらの点を含めて、お考えをお聞かせください。

小川敏夫君

幾つか順番に答弁させていただきます。

まず、不当な差別的取扱いあるいは不当な差別的言動という点のこの不当ということでございますが、元々この差別的取扱いも差別的言動、いわゆる差別行為そのものが許されないのであります。

それについて更に不当という言葉を設けたのは、不当でないような区別をすることがある。

もう少し具体的に言いますと、行政などが、そうした差別を受けるような属性を持っている方が社会的に弱い立場にあるときに、そうした方たちに対して何らかの支援をするというような行政を行うことがあるわけでございます。

そうした場合、それはほかの人と比べて異なった扱いをするわけですから差別扱いになるわけであります。

ただ、この差別扱いは、決して違法、不当な差別扱いではなくて、むしろ行政の在り方として、合目的性を有する正当な区別であるわけでございます。

ですから、そうした差別といいますか区別といいますか、そういう合理性を有した区別も言葉としてはありますので、そうした合理性を有する区別を除いた本来的な許されない差別という意味で、不当なという修飾語を付けたわけでございます。

ですから、この不当なというのは、あるケースにおいて不当かどうかということよりも、そうした行政などで合理的な区別をする場合には、それはここの法律で言う禁止される行為ではないよということを示すために用いた言葉でございますので、誰かがこの不当をどういうふうに判断するかというところのものではないわけでございます。

それから、しかし差別という行為の、差別、その違法性、すなわち許されない差別であるかどうかを誰が判断するのかという点の御指摘がございました。

これは、例えばこの法律が刑罰法規でありますと、それは摘発する警察、起訴する検察、あるいは最終的にはそれを判決を下す裁判官が判断することになるわけでございますが、この法律では刑罰を置いておりませんので、その分野の判断というものは必要がないわけでございます。

つまり、判断する場面が出てこないわけでございます。

それから、行政的な面で、例えばこういう差別行為があったら行政庁がそれを規制すると。すぐその場でそれを規制して排除するとか、あるいはそれを行っている団体に対して何らかの処分をするとかいうような行政処分というものが伴いますと、その処分をする行政官が、これが許されるものか許されないものかといいますか、この法律に言うところの差別行為に当たるかどうかは判断するという場面があるわけでございます。

ただ、この法律はそうした具体的な行政庁の処分というものも予定しておりません。

ですから、そういう面での判断するという場面もないわけでございます。じゃ、一体何なんだということになりますけれども、これはあくまでも理念を定めた法律でございますので、この理念を生かして各省庁が何らかの行政的な施策を行う、あるいは国会が立法する、地方自治体が条例を作る、あるいは地方自治体が公の施設の使用規則を定めるという、そういうような場面場面におきまして、それぞれの、その施策を行うなら行政庁、立法なら国会が、あるいは条例であれば自治体が、そういう担当者が、そのレベルでこの理念を生かしてどのようなこの理念を盛り込んだ施策を講じていくか、規定をしていくかという、その場面においてその担当者が判断をしていくということになります。

ただ、その場合には、個々具体的な事件を裁くという場面ではなくて、やはり総合的な施策の中で判断するべきことでありますので、そうすると、法律に適合するか適合しないかを誰かが具体的に判断する場面というのはこの法律においてはないのかなと、このように考えております。

それから、教育の点でございますが、これも、教育と、あるいは啓発の在り方も、具体的にこういうことをしろとは書いておりません。

差別がないようなという包括的な表現でございまして、それを実施するためにどういう教育をしろということは全く定めていないわけでありまして、これは、教育なら教育を行うその所掌の行政がこの理念を生かして、これを踏まえてその教育に関する方針をそこが公平に主体的に決めていくということでございますので、この法律が何かを、そうした行政の判断を、人種差別をしてはならないという理念を生かしたというところでは強制するのかもしれませんけれども、そこから先のそれを具体的にどのように教育に生かしていくかということにつきましては、それを実施する機関が公平にそして自主的に判断して行っていくことだというふうに思っております。

そのような構成でございますので、この法律では、判断者が定まっていないからよく分からないという問題は生じないのかなと。それから、特に教育の場面で刷り込みとかいうことは、それは教育を行う場面でのその教育者の公平、自由な、自主的な判断に委ねておりますので、この法律がそうした偏った教育あるいは刷り込んだ教育ということにはならないのではないかと、このように考えております。

田中茂君

ありがとうございます。大変御苦労をされているんだなという、お話聞いていまして、本当に法案を作るのは大変だなというのをしみじみ感じているわけであります。

その部分でいえば、主観的な判断を求められる問題として、例えばパワハラとかセクハラ、マタニティーハラスメントとか、いろんなものが議論がされているとは思っております。

ある人物によるある人物に対する言動がセーフかアウトかの判断というのは、人によって解釈や受け止め方も対応も違う、温度差があるもののケースがあると。一方、企業などは、組織の場合には、その中で例示列挙的な具体例を含めたガイドラインや第三者的な通報窓口が設けられることで対処されるというケースが多いと思っております。

これは、あくまで被害者と加害者が、その利害関係がはっきりしているからそうなると思っておるんですね。

この場合、その被害者と加害者がどうなるのか、その辺がかなり曖昧じゃないかな、その辺が非常に難しいのではないかということで、今そういう苦労をされているんじゃないかというのを拝察する次第であります。

次の質問に移らさせていただきますが、今法案の第三条二項の著しく不安若しくは迷惑を覚えさせるや、不当な差別的言動をしてはならないことという、この著しく不安若しくは迷惑を覚えさせることの判断基準や境界どこに置くかが、その不当という基準をどこに置くか、あるいはどう取り扱うかが、これらがまさに課題になると思っておるわけであります。

これに該当するような条項が諸外国にはどのような規定ぶりであるのか、お聞かせいただけませんでしょうか。

政府参考人(下川眞樹太君)

お答え申し上げます。

各法制の詳細につき把握、全部できておるわけではないという前提で申し上げれば、例えばドイツでは、刑法の民族扇動罪に当たる行為として、公の平和を乱し得るような態様で、一つには、ある国籍、民族、宗教若しくは人種的起源によって特定される集団、国民の一部又は個人に対し、そのような特定の集団等に属していることを理由に憎悪をかき立て、又は暴力的若しくは恣意的な措置を求める、あるいは、特定の集団に属していることを理由に個人を冒涜し、悪意で侮辱し若しくは中傷することによりその人間の尊厳を害するといったようなことが挙げられております。

また、フランスでは、出版の自由に関する法律の出自等を理由とする差別等の公然の扇動罪という罪に当たる行為としまして、一つには、公の場又は集会における演説、大声又は脅迫、また二つ目には、公の場又は集会において販売され又は展示される著作、印刷物、図画、この二つにより、その者の出自、特定の民族、国籍、人種、宗教への帰属、不帰属、性別等を理由とする差別、憎悪又は暴力の扇動といったようなことが挙げられているというふうに承知しております。

田中茂君

ありがとうございます。

各国でもいろんなことは考えていると、いろんな例があるということでありましょうが。

ところで、最近インターネットで行われたヤフーの意識調査、ヘイトスピーチを法律で規制すべきかを見ると、規制すべきではないが五七・九%、規制すべきであるというのが三五・九%、そのほかが六・二%となっておりますが、これが民意とは全く思ってはおりませんが、現段階では、意識としては規制すべきではないという意見の方が大勢を占めていると思われます。この点に関してはどう思われておられますか。

委員以外の議員(前川清成君)

これまで何度も答えさせていただいておりますけれども、この法案は、一定の行為について刑罰を科したり、あるいは何らかのサンクションを与えたりという意味における規制を定めたものではございません。

確かに、法案の三条に他人の権利利益を侵害してはならないとして書かせていただいておりますが、これは、国民の意識を高める、そして政府や地方自治体の施策がそれによって行われるというふうな基本原則を定めたものでございます。

したがいまして、ヤフーの調査がどのように行われたのか委細は承知しておりませんけれども、ヘイトスピーチを規制すべきかという問いであったとすれば、その問い自体が正しくなかったのではないかと。

この法案は規制するものではございませんので、そういう正しく法案の中身が世論調査に反映されていたらば、違う結果が得られたのではないかと思います。

いずれにしても、国民の皆さん方にこの問題をもっと正しく、正確に伝える必要があろうかというふうに考えております。

田中茂君

人種等を理由として侮辱する表現、人種等を理由とする不当な差別的扱いを撲滅するという趣旨、そのような理由で決して人を差別すべきではないという強い思いは共通していると思います。

確かに、昨今問題となっているヘイトスピーチはその内容が極めて過激で、攻撃的で、人格をひどく傷つけるものであります。

ただ、こういった差別や人権侵害について、解釈が、先ほど来言っているように、広範にわたり、その個々人の受け止め方や価値観、時代性によって常識も異なる分野だと感じています。

例えば、意識調査のときに、その反対理由を見ますと、様々であります。

憲法で保障されている表現、結社の自由を侵害するものであるという概念上の反対から、こういったものは法律で規制すべき問題ではなく、教育や人間性の範疇の問題であるという意見もあります。

民主的な世論の力で克服すべき問題であると考える人もおります。

また、言論の自由という面から見れば、法規制を掛けることは言論統制にもつながりかねないのではないかと。

この点、私も若干危惧はするものでありますが。

五十年前には特に問題視されていなかった表現も時代の経過とともに変化しているのも事実であります。

そういった時代の流れも含め、今までの経過等捉えて総括する必要もあるのではないかと、そう考えております。

だからこそ、規制ももちろん大事ですが、このヘイトスピーチの根本的原因に向き合い、それを根絶する努力も必要ではないかと、そう考えております。

民族とか国籍を一くくりにして評価するような発言は許すべきではないという点は、私も完全に同意する次第であります。

ただ、人権に対する捉え方や対応次第では逆差別にもつながりかねない危険もはらんでおります。

法制度化したことによってむしろ本質的な問題の解決を遠くする可能性もあるかもしれません。

これによってヘイトスピーチをなくすという問題の解決につながるのか、憲法で保障された表現の自由という権利を制約することにつながりはしないか、逆差別の懸念についてはどうか。

また、表現の自由が保障されているといっても、先ほど来皆さんおっしゃっているように、表現の自由という権利には責任を伴うものもあります。

公共の福祉に反しない限りはいいのではないか、規制もいいではないかという意見もあるかもしれません。

この点について、法案作成に当たって留意された点、いろいろ検討されたと思いますが、その点についての率直な御意見をお聞かせいただけませんでしょうか。

小川敏夫君

私も、こうしたヘイトスピーチ等を含めた人種的な差別行為というものが、それを許さないという社会全体の意識ができて、もう法律を作るまでもなく、そういうことは許されない、そして、そういう許されない行為は行われることがないというような社会が実現できれば、それが大変すばらしいことだというふうに思っております。

ただ、残念ながら、ヘイトスピーチという行為が行われて、ほとんど多くの国民がこれはやはり許されない行為ではないかという評価をしていると思うのでありますけれども、実際には、法規制もできないし、またそれを明確に違法とするという法律もないという中で、なかなかこのヘイトスピーチがやまないという現実があるわけでございます。

ですので、まず何よりも法で対応する前に国民の意識としてそうした差別がない社会というものを構成するということが最も大事だということは、もう委員御指摘のとおり、私も全く同感でございます。

なお、この法律は、ヘイトスピーチということ、私どももヘイトスピーチを念頭に置いておりますので、ヘイトスピーチ規制法あるいは対策法という別の名称をいただいている部分もございますが、法律そのものはヘイトスピーチも含めた人種差別に対する基本法でございまして、そうした、そういう差別は許さない、ヘイトスピーチも許さないという社会を構成するための様々な施策、基本方針、こうしたことを国が取るように、あるいはそうした施策を検討する審議会を設けるなどの総合的な対策を講じた法律の内容になっております。

したがいまして、こうしたヘイトスピーチを含めた人種的な差別的な行為、これは法律で規制するということも必要だけど、それよりも優先的にそうしたことがなされない社会を構築するということも、努力するための様々な施策もこの法案に盛り込まれているところでございます。

何よりも、この法案ができる前に行政の方でそうした取組が完全な形でなされていれば私どもも立法するということには至らないんですけれども、残念ながら政府の方からはそうした対応がなされていないので、今回の立法に及んだという次第でございます。

また、しばしば例となります京都朝鮮学校襲撃事件の判決で、判決は、表現の自由と、そして差別的な発言についての判断をしておりますが、ここで、この発言が表現の自由ということを排斥する理由として、憲法十三条、十四条一項や人種差別撤廃条約の趣旨に照らしということで、表現の自由として許されるものではないといってこのヘイトスピーチを違法だというふうに言っておるわけでありますけれども、法律がないから裁判所はいろいろ論理的に苦労して、憲法を持ち出して、人種差別撤廃条約を持ち出して、その趣旨に照らして違法だという判断をしておるわけです。

ですから、こういう、そもそも端的に人種差別の言動あるいはヘイトスピーチは許されないんだという、こうした理念法があれば、裁判所ももっと端的にヘイトスピーチは違法だということが容易に判断できたのではないか。

そうした意味では、なかなか苦労した判決も、こういう、そもそも人種差別の撤廃を定めた基本法がないことによって裁判所の判断も少し苦労している。

しかし、こういった法律ができれば、司法の判断も、それから司法以外の様々な判断の場においてもしっかりと、差別は許されないという基本が、個々の判断の中で、施策の中で生かされていくのかなと、このように考えております。

委員長(魚住裕一郎君)

田中君、時間です。

田中茂君

ありがとうございます。

人種等を理由とする差別は徹底的に撤廃し、社会的弱者の皆さんには配慮をするというのは、これは国際条約の理念でもありますので、それは私はもう同意する次第であります。

ただ、その前提として、広い国民的な理解を得られるということが最も大事だと思っておりますので、その点を検討していただきながら今後も考えていただきたいと、そう思っております。

よろしくお願いします。どうもありがとうございます。

日本に生まれ育ち、一生を過ごしたいと言える「誇りのもてる国」
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