元参議院議員 田中しげる

しげるレポート | 田中しげるの活動報告ブログ

中曽根元総理の外交術
レポート 2018/11/08

 中曽根元総理が初めて参加したサミット会議、ウイリアムズバーグサミットでの発言について前回書きましたところ、各国首脳が黙ってしまった元総理の真情の吐露とはどのようなものだったのか知りたい、というリクエストをいただきました。まずはそのことについて記しておきたいと思います。

 ソ連のSS-20中距離核ミサイルの配備計画に対抗するために、アメリカのパーシングⅡ中距離核ミサイルをヨーロッパに配備するという、レーガン大統領の提案にサミット参加国の意見は賛成と反対に二分されました。そのときに元総理は、ソ連に対抗するためには自由主義国が一致して強い姿勢を示すことが重要である、と述べました。つまり、この危機に対して意見が割れている場合ではないと呼びかけたのです。元総理の発言は、ソ連のSS-20中距離核ミサイルの配備を撤回させるに至るきっかけを作った歴史的な発言でした。しかし、各国首脳を黙らせてしまったのは別の話でした。それは、元総理の政治家としての真情を率直に吐露したものでした。
「(日本はNATOの同盟国でもないし、平和憲法と非核三原則を掲げているから、従来の方針では、この様な場合は沈黙すべきである。しかし、あえて賛成するのは、ここで西側の結束の強さを示してソ連を交渉の場に引きずり出さなければならないからである)私は日本に帰れば、日本はいつNATOに加入したのか、集団的自衛権を認めることに豹変したのかと、厳しく攻撃される。しかし、私は決してひるみはしない。いまや、安全保障は世界的規模かつ東西不可分である。日本は従来、この種の討論では沈黙していた。しかし、私はあえて平和のために政治的危機を賭して日本を従来の枠から前進させる。ミッテラン大統領も私の立場と真情を理解してほしい」
 ミッテラン大統領は、サミットは経済会議であり、その様な軍事的な声明を出す場ではないと反対の立場でした。しかし、元総理の発言に各国首脳は黙ってしまい、レーガン大統領がその機をとらえて、サミット参加各国の総意としてソ連に対抗案を突きつけることになったのです。

 実はもう一度、サミットの席で元総理が強く主張したことがありました。1985年に行われたボン・サミットでのことで、相手はやはりミッテラン大統領でした。ミッテラン大統領が異論を唱えたのは、農業問題とSDI(戦略防衛構想)についてでした。独自の政策を主張して、「官僚達が主導するサミットなどもう必要がないし、参加する気もない」といい、その場がしらけてしまったのです。そこで元総理が発言しました。
「われわれ日本にとっては、先進国の指導者と一同に会し話し合えるのはサミットの場しかない。あなた方はNATO(北大西洋条約機構)やEC(欧州諸共同体)の会合で年に何度も会っているだろうが、われわれにはこのサミットしかない。そういう場をなくそうなどということは、私は大反対だ。世界的に見ても大きな損失だ。だから会議の運営については改善しよう。次回の東京サミットでは首脳の直接的な話しあいで決定していく。官僚は主人ではない」
 このように官僚主導ではなく、首脳の話し合いで会議を進め、決定することをミッテラン大統領に提案したのです。SDIについても日本の条件を説明し、各国ごとに所見があることを認めた発言をしました。元総理の発言をきっかけに、その場の雰囲気がほぐれ始めたのです。ボンサッミットでの発言の際の心境を、元総理は俳句に詠んでいます。
   いふべしと ボタン押す指汗ばめり

 このように書くと、元総理の発言相手が二度ともミッテラン大統領に向けたものであったこともあり、2人の仲を心配される向きもあるかもしれません。しかし、ミッテラン大統領とは時にフランス語を交えて哲学、宗教、宇宙、歴史談義をするなど、きわめて友好な関係にありました。元総理自身、「対等な知的会話ができたのはミッテランだけだった」と語っています。国際政治学者の細谷雄一慶応大学法学部教授は、ミッテラン大統領の側近の補佐官、ユベール・ヴェドリーヌが回顧録の中で、ウイリアムズバーグサミットにおいて「ナカソネがフランス語で流暢に語りかけてきたことには驚いた」と書いていることを紹介しています。
 元総理とミッテラン大統領とはウイリアムズバーグサミットのときが初対面でしたが、会議の前日、元総理がミッテラン大統領のコテージを訪ね、玄関前で待っていた大統領にフランス語で初対面の挨拶をしたことは、当時同行していた総理秘書官の長谷川和年氏(後にオーストリア大使など歴任)が記しています。「(中曽根総理の挨拶を受け)初めきょとんとしたミッテラン大統領は、思いもかけぬフランス語で話しかけられたことがわかり、相好を崩して大喜びし、フランス語で応じられました」と語っています。ちなみに、フランス国民のこれまでの大統領の評価を見ると、ミッテラン大統領は、第二次世界大戦の英雄だったドゴール大統領に継ぐ高い評価を得ています。

「日本、中国、インドが作る三角形」

 中曽根元総理が外交関係で常に重要視したのが中国でした。元総理は政策を行うにあたり、必ず基本概念を原則という形でまとめていて、外交については4原則を守っていました。その4原則は以下の通りです。
 1.自分の力以上のことはするな
 2.ギャンブリングで外交をするな
 3.内政と外交を混同して利用しあってはならない
 4.世界の正統的潮流に乗るべし

 10月25日、安倍首相は国際会議への出席を除くと7年ぶりに中国を訪問しました。尖閣諸島の国有化宣言以来冷え切っていた日中関係は、安倍首相の靖国参拝で最悪となりました。その後、首相が繰り返した「日本は常にオープンで、窓は開いている」という発言が火に油を注いだ形となりました。しかし、時代は変化していきます。
 日中関係が冷え切っていた間に、中国では習近平国家主席の権力が強化され終身国家主席の座を得ただけでなく、経済面ではアジアインフラ投資銀行の設立、中国からアジア、ヨーロッパを陸路、海路で結び、インフラ整備や貿易を促進する「一帯一路」という壮大な構想を掲げ、多くの参加国を得てプロジェクトに着手しました。とはいえ、日本、アメリカは、いまだに参加を表明しておらず、一帯一路が自国の発展につながるのか、疑問を持つ参加国も出始め、放っておけば頓挫しかねない状況が生まれつつあります。
 アジアの一方の雄である日本の参加、とりわけ資本と技術力、そして信用力が必要なのは明らかです。さらに、そこにトランプ大統領より米中の貿易不均衡が指摘され、中国製品の関税率が引き上げられる事態となりました。中国政府も対抗措置を採っていますが、中国が受けたダメージは大きく、経済指標が悪化しています。世界経済を牽引している米中の貿易摩擦が引き金となり、世界株安状態を引き起こしていることは周知の通りです。
 実際のところ、中国も日本と冷えた関係のままでいられる状態ではないのです。今年の5月に李克強総理が初来日して日中関係修復の一歩を記し、今回の安倍総理の訪中となったわけですが、まさに両国にとっていい機会でした。ただ今回の訪問で、日本側が期待した東シナ海のガス油田の開発問題や北朝鮮問題、拉致家族等々の話し合いができたかは不明です。
帰国後安倍首相は、習近平国家主席との会談の結果を、日中関係の新たな発展の「三原則」として以下のように発表しました。
 1.競争から協調へ
 2.隣国同士として互いに脅威にならない
 3.自由で公正な貿易体制を発展させる

 このような形で2国間の関係が決められたことは喜ばしいことです。しかし、「原則」という言葉を用いたのは安倍首相だけで、中国外務省の発表は1の「競争から協調へ」については触れず、また「原則」という文言も使いませんでした。日本の外務省も「原則」という言葉は会議で使われなかったと、首相の発言を訂正しました。安倍首相は衆議院の代表質問に対する答弁や、テレビの報道番組でも「原則」としていましたが、なぜその言葉にこだわったのでしょうか。そもそも、首相の発言を外務省が訂正するのもおかしな話で、報道各社も疑問を投げかけています。
 その真意は分かりませんが、「原則」にこだわったのは中国を嫌う日本人向けのメッセージだったのかとも思います。日本の「原則」には、ときとして「例外」が存在することを強調するために使われることがあるからです。もし首相がそのような意図であえて「原則」という言葉を使ったとするなら、日中間の関係は修復途上で、首脳同士の関係も同じであると理解されます。
日本人が嫌う国として韓国、北朝鮮、中国の3国が必ず挙げられ、2017年に米国の調査会社が行った調査では、「中国が嫌い」な日本人は86%にも達していました。アレルギーが強い背景には、国力の増大に伴う中国の成長がもたらす経済や軍事的な脅威、またマナーなど、それなりの理由があるのもよく理解できますが、好き嫌いで判断するにはあまりにも歴史的かつ地政学的に近い存在です。
 いずれにせよ、中国抜きでアジアの平和や経済の発展、未来を語ることはできません。ちなみに日本の輸出入総額を見ると、2007年以来昨年まで中国が1位を続けています。2017年は33兆3,400億円(全体の21.7%)、2位の米国は23兆2,037億円(15.2%)と、断然の1位です。中国抜きで、わが国の経済や生活を語ることはできないのです。

 中国から安倍首相が帰国した翌日、インドのモディ首相が来日しました。安倍首相は自らの別荘に招くなど親密振りを大いにアピールしました。中国とインドは今年、習近平国家主席とモディ首相が会談するなど関係改善の兆しはあるものの、昔から国境問題を抱えるなど決して良好な関係にあるわけではありません。中国から帰った翌日に、インド首相との親密ぶりを大々的に示す必要は何だったのでしょうか?
 中国との関係が冷えていた間、日本が親密度を深めたのがインドでした。新幹線の売込みに成功するなど、経済交流も盛んになっています。首脳同士の会談も12回目となりました。中国に対抗するために、もう一つのアジアの大国インドへ向かうのは当然のことといえます。対中国という意味で、日本とインドは共通した思いを持っていたのです。両国の友好関係を深めた安倍首相のリーダーシップも買いますが、中国を考えた場合はセンシティブな話になります。外交は誠実かつ丁寧に扱うものです。
 日本がイニシアティブをとり、日本・中国・インド3カ国の三角形でアジアの発展を形成していくにしても、常に米国を介入させておくことも大事だと思います。
 この記事を書いている現在、米国の中間選挙の結果がインターネットで報じられています。上院は共和党、下院は民主党が勝利し、ねじれ現象が起きました。2020年の大統領選挙も不透明さが増したといえるでしょう。日本の対米外交も共和党と民主党の両党を睨みながら慎重に進める必要があります。来年の1月には農産品の関税に関する日米会議が始まりますが、日本は成果をあげたいトランプ政権から、厳しい要求を突きつけられることになるでしょう。

日本に生まれ育ち、一生を過ごしたいと言える「誇りのもてる国」
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