コロナ禍により低迷した経済の立て直しが、世界中で急速に進んでいます。
米国では経済が活発化しており、ガソリン価格は7年ぶりの高い水準になるなどインフレ傾向にあります。これに対しバイデン大統領は、戦略石油備蓄のうち5000万バレルを数カ月かけて放出すると発表し、日本をはじめ中国、インド、韓国、英国に備蓄の放出を要請しました。ただ米国の放出量は国内消費量の2.5日分に過ぎず、価格引下げには十分ではなく、‟OPECプラス”が増産ペースを落とすきっかけとなれば逆効果になる、との批判も出ています。
バイデン大統領の要請に対し早くも翌日に反応したのが岸田総理で、「米国と歩調をあわせて、現行の石油備蓄法に反しない形で国家石油備蓄の一部売却を決定した」と発表しました。
2度にわたる石油危機の教訓から、日本の現在の石油国家備蓄は国内需要145日分。石油会社などに義務付けられた民間備蓄は90日分、その他が6日分あり合計241日分程となっています(9月末時点)。石油備蓄の目標は160日分ですから、余裕もあります。今回放出するのはこのうちの数日分で、年内にも入札を行い売却の予定ということです。米国が呼びかけた他の国々も、放出準備を進めているといわれます。
各国が協力して‟OPECプラス”に圧力をかけようとしている矢先に、‟オミクロン株”の感染拡大です。日本でも感染者が確認されたように、世界的な流行となれば経済に与えるダメージは計り知れません。しばらくは‟オミクロン株”と‟OPECプラス”の動きに目が離せない状態が続くでしょう。
日本の高度経済成長は1954年に始まり、1973年に突如終わりました。その原因は、1973年10月6日に勃発したイスラエルとエジプト・シリアによる「第4次中東戦争」にありました。戦争自体は局地的で、36日間で停戦合意に至りましたが、その結果、中東地域の産油国が原油価格の引き上げ、供給量の管理などを独自に行うようになりました。狙いはイスラエルに加担した米国でした。
当時の日本は田中角栄内閣の時代で、中曽根康弘先生はエネルギー問題を担当する通産大臣でした。当時先生が上梓した『海図のない航海 石油危機と通産省』(日本経済新聞社)の中で、「私は通産大臣就任以来、いつも石油あるいは資源問題が頭にひっかかっていた。日本という産業巨人の消費する食糧、資源、エネルギーは、その大部分を外国企業からの輸入に頼ることとなった」とし、日本は繁栄を誇っていてもその実は「ひよわな切花」であったと記しています。
日本はエネルギー資源の乏しい国ですから、ほとんどを海外に頼っていることは昔と変わりません。エネルギー国内供給に占める石油の割合は、1973年度の75.5%から2018年度は37.6%まで下がりました。しかし、石油輸入の中東への依存率は、2019年度に89.6%という高率となっています。昔とは状況が異なるとはいえ、過去に学び中東のみの一極集中は避けるべきでしょう。日本は2度の石油危機を経験しました。2度あることは・・・、3度目がないとは限りません。
中曽根先生は拙著『100歳へ!』(光文社)の中で次のように述べています。
「石油危機が単なる一過性の厄災として、忘れ去られるようであってはならない」