ウラジミール・プーチン大統領は、1952年10月生まれの69歳です。
レニングラード大学卒業後KGB(ソ連国家保全委員会:情報機関・秘密警察)に入り、16年間勤めました。その期間はブレジネフドクトリンの消滅(1988年3月)、ベルリンの壁崩壊(1989年11月)、冷戦終結(1989年12月)、ワルシャワ条約機構解体(1991年7月)、そしてソ連がロシア(1991年12月)へと変わる、まさに激動の時代でした。
その後政治家に転身し、エリツィン大統領の下で1999年に首相に就任したのが46歳。同年、エリツィン大統領の辞職に伴い大統領代行、そして4カ月後に行われた大統領選挙に47歳で当選し、一気に大国ロシアの頂点にのぼりつめたのです。
2000年から2008年まで2期8年、大統領を務めました。当時、大統領の任期は2期8年までと定められていたため、2008年からは首相を4年間務め、一方で2008年に大統領の任期を6年に変え、2012年から大統領に復帰し、現在は2期目を続けています。任期が終わる2024年には、在任期間が通算20年となります。さらに2020年には、任期延長を含む憲法改正案を国民投票にかけ、可決されたことで6年毎の選挙に勝てばあと2回、2036年まで連続で大統領を続けられることになりました。権力に対する並々ならぬ執着心を感じずにはいられません。
自分の都合のいいように憲法まで変えてしまう、まさに国を私物化している独裁者といえます。
英国の政治家だったアクトン卿は、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」と述べています。権力は人を変えます。そしてその行使はさらに人を変えます。より強い権力を求めるようになり、やがて権力の内に潜む「魔性」によって、権力を手放すことができなくなります。中曽根康弘先生は総理大臣就任後、自分に言い聞かせたのが「権力の魔性を自戒せよ」であり、「政治権力は文化に奉仕し発展させ、新たな文化を創造するものであり、政治指導者はその奉仕者であるべきだ。権力には独善になる麻酔的魔力がある。それに対しては常に警戒しておくべきだ」と述べられていました。※
最近のプーチン大統領は以前にも増して「権力の魔性」に取りつかれた、危険な指導者に見えます。自分勝手な信念のために他国へ侵攻し、形勢が不利となれば生物・化学兵器や核兵器の使用・原子力発電所への攻撃(但し、その攻撃による放射性降下物が風向き、または偏西風によって自国ロシアや親露のベラルーシ等他国へ被害をもたらす危険があります)を持ち出して威嚇する。「権力の魔性」がなせる業か、プーチン大統領の考えや発言には狂気を感じることがあります。
このHPで何度か書きましたが、中曽根先生は学生時代からカント哲学に傾倒し、「自らの行動を律するとき、カントのいうわが内なる道徳律に従って行動してきた」とよく話されました。そして「私は多くの過ちを犯したかもしれないが、人間の深奥に道徳律があるということについて、根本的に疑ったことはなかった。そして、人類が人類としてお互いに話し合い、理解し合えるのはそうした普遍的なものとしての道徳律を共有するからであると信念のように思っていた」と指導者としての本質を記されています。
3月29日、トルコの仲介によりイスタンブールにてロシアとウクライナの停戦協議が行われました。とはいえ予断を許さない状況が続くことに変わりはありません。プーチン大統領が自ら仕掛けた戦争です。一時的な戦線の縮小はあるでしょうが、「権力の魔性」に取りつかれた最高権力者がこのまま引き下がるわけはないでしょう。いずれかの時点で危険な兵器を使用するという「悪魔の選択」を行う可能性もまだ残っています。すでに米国は、「ロシアには停戦を行う意思がない」と断じています。
実際、どれだけ停戦交渉を重ねても、この戦争をやめることができるのは、プーチン大統領だけなのです。
※中曽根先生は、総理時代の官房長官に他派閥(田中派)の後藤田正晴氏を任命しました。それを田中角栄氏に話をした時、「本当にそれでいいのか」と大変驚いたそうです。しかし中曽根先生が後藤田氏を官房長官にしたのは、「行財政改革で官僚に睨みを効かし、震災時や天皇陛下(昭和天皇)のご健康問題などに相応しい危機管理対策ができ、さらには自分に反対意見を言ってくれる人を側に置いておきたかった」と話されていました。つまりイエスマン、友人ではなく「権力の魔性」に陥るのを諌めてくれる人を、側に置くことが大切なのです。