参議院選挙の結果は、予想通りの自民党圧勝に終わりました。中曽根康弘先生は、「政治は形容詞でやるのではなく、動詞でやるものだ」と言ってました。岸田政権の「決断と実行」に期待しています。
投票日2日前、安倍晋三元総理大臣が、手製の銃を持った男の凶弾に倒れ、お亡くなりになりました。長い間、日本国の舵取りをされ東奔西走の働きをされました。心からお悔やみ申し上げます。
犯人はその場で逮捕されましたが、報道では思想的な背景はなく、個人的な恨みをつのらせて元総理を狙ったとのことです。そうであるなら政治思想と絡めてことさら大仰な言い回しで犯行を批判するより、まずは同じような事件が起きないように警備体制を見直す必要があります。SNSによって様々な情報が手に入るご時世では、今回の犯人のように自ら銃を造る輩も増えるでしょう。SNSの規制も必要ですが、警備の現場では銃対策を講じた警備体制へと、早急に変えるべきです。
6月下旬、ドイツでG7の首脳会議が行われました。ウクライナ支援、ロシア制裁、インフレ対策をはじめ経済問題などが山積しているにもかかわらず、緊張感のなさだけが印象に残りました。
G7の結果をこれから実行に移すというときに、インフレ進行が深刻化している米国ではバイデン大統領の存在感は薄く、英国のジョンソン首相は、突然退陣を表明。ウクライナはよき理解者を失うことになりました。一方、仏国では下院選挙の結果、マクロン大統領の与党連合が過半数を大幅に下回る敗北を喫しました。今後は厳しい政権運営を迫られることになります。独国のショルツ首相は、元々支持基盤が強いわけではありません。それぞれの国にそれぞれの問題や思惑があるのは当然ですが、それをまとめるリーダー、つまりG7の大黒柱の不在を痛感します。
米外交問題評議会上級研究員のエドワード・オルデン氏は、世界各国がそれぞれ豊かになったことで影響力が増し、自国の利益を主張するようになったことを指摘しています。そして、そのことにより「諸国間で総意をまとめることはほとんど不可能になった。今回の危機で、世界は再び一致団結する方策を見いだすのではなく、競合的かつ部分的な対応を次々と打ち出すしかない状態にある」としています(「NEWS WEEK」6月30日)。
ロシアにも同じことがいえます。プーチン大統領は、6月末にウクライナ進攻後初めて国外の中央アジアのトルクメニスタンを訪れ、カスピ海沿岸4カ国(他にアゼルバイジャン・イラン・カザフスタン)との首脳会議に臨みました。同時期に行われていたNATOの会議に対抗する意味もあったのでしょう。しかし、会議終了後の5カ国首脳の堅い表情と態度を見れば、4カ国がロシアと一定の距離を置こうとしているのが透けて見えてきます。プーチン大統領が勝手に始めた残酷な戦争です。自分で蒔いた種は自ら刈り取るしかありません。となれば、プーチン大統領はさらに戦いを続け、有利になる状況を作ろうと必死になるに違いありません。
世界の政治・経済状況を見ていると、世界の体幹(バランス)が崩れ始めていることを感じます。体幹とは頭部と四肢を除く胴体のことで、体の中心といえます。体の軸である体幹がしっかりしていれば、末端の手足で発揮する力が大きくなります。逆に崩れると力がうまく脳や四肢に伝わらなくなります。すると体全体が動かずに、脳や手足だけの運動になってしまいます。それではバランスの取れた本当の力は発揮できません。世界はまさにその状態に陥りつつあります。これをどう立て直すのか? 世界が今以上に強くまとまる何かが生まれない限り難しいでしょう。世界中に蔓延したコロナへの対応が、人類を同じ目標に纏め協力しあう機会になるのではと思いましたが…。それどころか、ロシア・ウクライナ戦争が勃発し、戦争が長引くに連れマンネリに襲われ、各国が自国ファーストの殻に閉じこもりつつあるように思えます。
現在、あたかも『パンドラの箱』が開いたような災いばかりが続いています。戦争、天変地異、伝染病、銃乱射による大量殺人、暗殺等々…。『パンドラの箱』の物語では、様々な禍いが外に飛び出すので、慌ててパンドラが箱の蓋を閉めたとき、「希望」だけが箱に残りました。これは、希望は箱に残ってしまったので、人類はいつまでも手に入れることはできない、という意味でしょうか? それとも箱に残ったからこそ希望は消えることなく、人類はいつまでも希望を持ち続けることができる、という意味なのでしょうか?…。