岸田文雄内閣総理大臣が目指す政治とは何か?
「異次元の子育て政策」といい、何故「異次元」なのか、言葉遊びの虚さすら感じます。更に国際情勢が激動している不安定の中で、総理は具体的に日本をどこへ導こうとしているのか、全体像、国家像が判然としません。
前々回の投稿『政治の王道』では、中曽根康弘先生の著作『新しい保守の論理』(講談社・1973年発行)から、以下の文章を紹介しました。
「危機に立つ責任ある政治家は、政策を語る前に政治にかける”哲学”(※)と”熱情”を国民の前にあきらかにしめさねばならない。それほどのリーダーシップを発揮するためには、透徹した”哲学”と、ほとばしり出る人間的な”熱情”の両方がなければ、道は開かれないからである」。
実はこの文章の後に、中曽根先生は次のように記しています。
「哲学を基礎において、錯綜する難問に対し、多数の幸福と弱者擁護の姿勢に立った弾力的な対応をする。”哲学”によって相反する主張や対立する利害問題を調整し、実行可能な政策を形成してゆく。また”哲学”は各個別の要求を識別し、汲みあげる十分な眼力と手足である。同時に、政治はまさに熱情であり感激である。熱情と感激のないところに政治はない。その熱情と感激が哲学と道徳的価値によって支持され、より高い理想を目指すとき、決断と実行力が生まれる。この情念的動力がなければ、それは空洞化した形骸が残るにすぎない。いま国民は政治家にビジョンと決断と実行力を強く要求している。政治の中の決断と実行力は、哲学と熱情を前提にしてはじめて大きく動き出すことだろう」。
更に、先生は2010年に刊行された『保守の遺言』(角川書店)の中で上記の文章を取り上げ、「『哲学』に関しては少し付言しておこう」と以下のように書かれています。
「そもそも哲学というのは、実はいまのような激動の時代にこそ必要なのである。にもかかわらず、いまの政治家に不足しているのは、日本を先導していく思想や哲学の力である。我が国の政治家は、自らの国家についての哲学を国民に語ろうとしない。クラゲのように、背骨のない軟体動物のように、ふわふわと浮遊しているようにみえる。それが私には気がかりでならない」。
今から45年前と13年前、先生がそれぞれ上梓された2冊の本からの文章の一部です。正に現在の政治に対して書いているようです。
前述の『政治の王道』で、私は、「ゲノム解析が進み生命の起源にまで迫りつつある現状、(中略)…様々な知識をもコンピューターやAIから簡単に取れるIT世代の政治家にとって、哲学を学ぶことは難題」と書きました。
しかし、日本のあらゆる分野で急速に進む劣化を見ていると、この対応は”難題”である哲学を持って挑戦していくしかありません。”難題”を解くのは、それこそコンピューターやAIに任せるのではなく、人間自らが解いていくものです。人間は常に考え、何かを選択し続けて生きています。フランスの哲学者パスカルは、「人間は考える葦」という有名な格言を残しました。本来哲学は私たちにとって、最も身近なものなのです。
岸田内閣総理大臣には、日本を先導していく透徹した”哲学”と、ほとばしる”熱情”で政治にのぞむことを強く切望しています。
インドの詩人、作曲家、思想家でアジア人初のノーベル賞受賞者(文学賞)であるタゴール(1861~1941)は、次のように語っています。
「哲学なき政治、感性なき知性、労働なき富。この三つが国家崩壊の要因である」。
この言葉を肝に銘じておくべきです。
※5年前の投稿『永遠の今』〈哲学なき時代〉をご参照ください。