冷戦崩壊後、 世界は米ソの2極の磁場から解き放たれ、 各国は己のアイデンティティの確立に血眼になってきました。しかしながら日本はその間、新保守自由主義という芯を失い漂流を続け、今もって完全には立ち直っていないのが現実です。ここで国家の土台を今一度しっかり固め直し、歴史と伝統を回復し、継承すべきものは継承し、改革すべきものは大胆に改革する時にきています。
一貫して戦後を担ってきた価値観を整理し、新たなパラダイムを作り上げることは決して容易なことではありません。しかし大切なことは、時代を理解し、時代を呑み込み、さらに時代に立ち向かう姿勢であります。
世界に目を向ければ、 グローバルスタンダードという価値観の波に今後の日本がさらに巻き込まれてゆくことも確かです。世界経済の一員として日本がその流れと無縁でいることはできません。しかし日本独自の文化や価値観は、その流れの中においてもやすやすと壊れることはないと確信していますし、またそうでなくてはなりません。むしろ日本のプレゼンスを高め、世界の潮流と日本のめざすべき方向性との間にどう折り合いをつけてゆくか、 その方向性を示す好機ではないかと思います。そのためにも常に「柔らかなエッジ」であることが必要ですが、一貫した姿勢を貫くためにはやはり、その根底に日本民族が有してきた価値観や歴史、記憶の連続性に基づく民族性の自覚が不可欠なものであると考えます。
多くの問題や矛盾に対して、その危機感や問題意識を揺り起こし、行動を起こすための力を結集すべきだと確信しています。
私達は幼い時から家族、友人、仲間とともに育ち、1年を通して正月、お盆、大晦日等の伝統行事を体験してきました。和を尊び、山川草木、様々なものの中に神(八百万の神)や仏の存在を信じ、祖先を敬い、桜の花の咲いて散る様に武士道をあわせ見て、流れる雲や水、季節の移ろいに人生の儚さや無常、あはれを感じる。我々の祖先が四季折々の美しい自然と風土をいとおしみ、悠久の歴史の中で築き継承してきた日本独特の伝統文化。鎮守の森や檀那寺などで感じた原風景と原体験、宗教観。この様に日本人としてのアイデンティティー、共生の哲学が形成され、それに誇りをもつことはごく自然なことです。
自分の国に誇りをもてば他国の歴史や伝統文化、異なる宗教に対しても理解が広がり尊重の念も増します。その理解を進めて行けばいずれ地球に住む私たちみんなが同じ共同体の一員だという共通した認識をもてるでしょう。そのためには何よりも私たち自身が、この国に誇りをもつ感性を取り戻すことが急務です。
日本人が日本人である理由、それはまさに美しい自然を愛し、先人が残した歴史や伝統を尊重し、自分の家族や町、国に誇りをもつことにあります。
この理念のもとで、明治以来続いている中央集権官僚政府、戦後の高度成長下の水膨れした政府と無駄な規制、国際貢献に消極的な利己的姿勢を排除する。そのためにも、先ずわれわれ自身が責任と義務を伴う真の自立と自由を確立すべきであります。