田中の友人から石黒さんの奥様を紹介されたのが、石黒賢さんとの最初の縁でした。ご承知のように「賢ちゃん」(このように田中は呼んでいます)のお父様はテニス界の往年のスターで、日本人初のプロテニスプレーヤーとして有名な石黒修さん。当然ながら賢ちゃんも子どもの頃からテニスをしていたスポーツマン。スポーツマンらしくフランクで明るく、真面目で誠実。その誠実さは、時に田中が恐縮してしまうほどです。テレビで見る通りの人柄で、意気投合し長い付き合いをしている、田中の大切な友人の一人。
奥さんとご一緒に会う機会が多く、よく食事や劇を見に行ったりしています。田中は、賢ちゃんが舞台に出ているときは必ず見に行き、会う機会がないときは、時々電話で近況などを報告しあったりしています。
中井貴一さんとの出会いは、田中しげるが広告代理店に勤務していたころ、あるCMに出演を依頼したのがきっかけでした。「中井さん」「きいっつあん」と呼ぶ仲で、本当に長い付き合いです。知り合った頃に、たまたま中井貴恵さん(中井さんのお姉さん)の話になり、貴恵さんの生年月日が田中とまったく一緒(なんと、キャロライン・ケネディ駐日米国大使も同じ!)だということがわかり、田中は中井さんとの不思議な縁をますます感じたと言います。それからは貴恵さんを交えての付き合いになりました。
大晦日は貴恵さんの自宅で年越し蕎麦を食べ、元日の朝は中井さんの家でお屠蘇を飲み、夜はまた貴恵さんのお宅にお邪魔するというのが、田中の恒例になっています。生年月日が一緒ですから、誕生日は貴恵さんと合同の誕生日会というのも年中行事の一つです。不思議なことに、貴恵さんの2番目のお嬢さんも誕生日が一緒で、今では中井家と家族ぐるみのお付き合いをするほどの仲です。
米田功さんとは、テレビ局の知人から紹介されたのがきっかけで付き合いが始まりま
した。「米田君」(田中は日頃は、このように呼んでいます)が大きな怪我を克服して、北京オリンピックの日本代表を目指して練習に励んでいた頃だったと思います。アテネオリンピックの体操男子団体で日本チームを金メダルに導いたキャプテンであり、自らは個人
種目鉄棒の銅メダリスト。どんな青年かと思っていたら、優しい顔をした物静かな好青年でした。当時、米田君は合宿所生活をしていましたから、年末にはわが田中の自宅に泊まりに来たり、大晦日は田中と一緒に中井貴恵さんのお宅で年越し蕎麦を食べ、元日は中井貴一さんの家にお屠蘇を飲みに行ったりしたことも。
現役引退後は、テレビの体操解説者やメンタルトレーナーとして活躍する一方、子供のための体操クラブを作ったり、また徳洲会体操クラブの監督に就任したり、さらに子育てと大忙し。田中とは時々「元気?どうしている?」と連絡を取りあっています。